私の一日は、2歳の娘を保育園に送り届けることから始まる。
布団から連れだして、朝ごはんを食べさせて、牛乳を飲み終わったら着替えさせ、靴下を履いて、靴もちゃんと履かせて、自転車に乗って、15分くらい漕いだら、はい、保育園についたよ、お父さん行ってくるよ、バイバイ。
そこにいたるまでには、いくつもの「イヤだよ!」「ダメ!」「○○ちゃんがやる!」が立ちはだかる。お気に入りの服(目玉焼きの絵柄のTシャツ)が洗濯中だったり、毎日のルーティン(家の扉は全部自分で閉める)を省略しようものなら、彼女の「怒り&悲しみスイッチ」が、いともたやすくオンしてしまう。もしくは、その日の気まぐれな要求(『はらぺこあおむし』の絵本を持参する、いつものスロープではなくその隣の階段を通る)にも対応しないといけない。……「イヤイヤ期」って誰がネーミングしたんだろう、センスがあるな、といつも感心する。
もう少し経てば、自分も2歳児とのコミュニケーションに慣れてくるはず。でも、そのとき娘はもう3歳になっていて、またもや未知の領域だ。そのあとも、ものごころをついて、学校に上がって、思春期を迎えて……親子の関係は、どんどん複雑になっていくだろう。どこまでいっても親初心者の自分は、父としてとるべき行動、伝えるべき言葉を、そのつど選べるだろうか。
自信は、ない。皆無です。たぶん(というかほぼ確実に)できないと思う。そんな父さんです、ごめんね。そんなことを、毎朝つい考えてしまう。
*
……とは言いつつ、私が娘の未来について悲観せずに済んでいるとしたら、発達心理学者アリソン・ゴプニック氏の“The Gardener and the Carpenter”という本のおかげだ。ゴプニック氏を知ったきっかけは、たしか、2017年の年末ころ読んだ『日経サイエンス』だった。人工知能の特集のなかで、彼女は発達心理学者の立場から、「今後の人工知能は子どもの発達に学ぶことが必要だ」ということを書いていた。それがたいへん面白かったので、彼女の最新刊を読んでみたのだった。
***
親は子どもに何をすべきなのだろうか。そのことについて、科学は何を言えるのだろうか。
科学は「規範を語れない」とよく言われる。科学が教えてくれるのは、あくまで世界が「どうなっているか」までで、その先の、「ではどう行動すべきか?」は、科学の領分ではないとされる。
子育てについてはどうだろう。世の中には、「科学的に正しい子育て」の情報があふれている。本も無数に出ている。そういう情報に触れると、不安な親としては、その「正しい方法」に従わねば、と思ってしまう。
でも、「正しい子育て」は何に照らしての「正しさ」なのだろうか。子どもがどんな大人に育てば、子育ては「成功」なんだろうか。また、「親がAをすれば子どもがBに育つ」と言えるほど、子どもの成長について科学は明らかにしているのだろうか?
アリソン・ゴプニック氏は、巷に出回る子育ての「べき」(=ペアレンティングの規範)に強い疑念を抱く一人である。それらがいかに間違っているか――少なくとも不自然か――を暴くために、科学者としての本気を出して書いたのが、“The Gardener and the Carpenter”なのである。
*
アリソン・ゴプニック氏は、「子どもの学習能力」に関する研究で有名な心理学者だ。彼女の研究室では、たとえば、こんな実験をする。2歳、3歳、4歳の子どもたちを研究室に連れてきて、ある複雑な操作で音が鳴るおもちゃを渡す。そのおもちゃで遊ぶ様子を記録・観察し、異なる発達段階の子どもが何を手掛かりにおもちゃの仕掛けを学習していくかを調べる。そこから、子どもの学習についての理論を作る。「ベイズ推論」としての学習のモデル、他人の考えを推し量る「心の理論」など、いくつもの重要な理論がゴプニック氏の研究から生まれている。
一方、その興味は心理学にとどまらない。『日経サイエンス』の記事にあったような人工知能分野との共同研究も精力的に行っているし、哲学にも造詣が深く、「デヴィッド・ヒュームが仏教の影響を受けた可能性」について(!)、論文を書いたりもしている*1。
私生活では3人の息子を育て上げ、離婚と再婚を経験し、いまは孫の世話をする日々。酸いも甘いも噛み分けた、「人生の達人にして、超一流のスーパー科学者」とでも形容したくなるような、とにかく規格外の人物だ。
*
そんなゴプニック氏だが、本書ではとくに進化の科学に着目する。進化生物学・進化心理学の最新の研究をサーベイし、そこから人間の親子関係の特殊性を炙り出す。自身の専門である心の「発達」に加え、心の「進化」の科学の面からも、親や周りの大人が子を世話することの意味を考えていく。
たどり着く主張は、
親が「何をすべきか」という問いそのものが、進化の過程で獲得された人間の学習能力や、親子関係のメカニズムにそぐわないのではないか?
というものだ。子どもを理想どおりに導くのが親の役目なら、最初からその理想的状態で子宮から出てくればいい。そうなっていないのは、親が教える以上のことを、人間の子どもは学ばなければいけないからだ。そして、子どもは、親が思うよりずっと強力な、学びの能力を備えている。子育ては、設計図を引いてモノをつくること(=carpentry)よりも、種をまいて育つに任せる庭づくり(=gardening)に似ている――原書タイトルにはこのメッセージが込められている。
もちろん、だからといって「親は何もしなくていい」とはならない。本書を読んでも、子育ての悩みはなくならない。これを書いている私だって、そのうち「どの学習塾に子どもを通わせるべきか」とかを悩みだすに違いない。それでも、0歳の娘を抱えながらこの本を読んだとき、私の心が軽くなったのは事実だ。この先の親としてのパフォーマンスを心配するなんて意味がない。今、目の前に娘がいることを楽しみ、娘から学んでいこう。そんなふうに思わせてくれたのだった。
***
このたび、本書の日本語版が出ます。
タイトルは『思いどおりになんて育たない:反ペアレンティングの科学』。訳者は、昨年の話題書、『the four GAFA』などを訳された翻訳家の渡会圭子さん、解説者はゴプニック氏とも面識をもつ発達心理学者の森口佑介先生です。
- 息子・娘・孫・生徒・近所の子など、身近に子どもがいて、
- その子どもに対して、「自分に何ができるか」を悩んだことがあり、
- 子どもに対して大人ができる/すべきことについて、「科学は何を教えてくれるのかな?」という疑問が少しでも心に浮かんだことのある方。
そんな方々に、ぜひ本書が届いてほしいと思います。
2019年7月20日前後の発売予定です。