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読書メモなど

読書メモ:学術書の編集者(橘宗吾 著)

 

学術書の編集者

学術書の編集者

 

 

学術書とは何か、学術書の編集とはどんな仕事なのかについて、名古屋大学出版会の編集長が綴った一冊。タイトルどおり、学術書の編集者が、学術書の編集者に向けて書いた本である。

同業者の端くれ*1として、「学術書の編集」は面白いし大事な仕事だと思うのだけど、この職業に固有の、漠然とした不安・疑問・ジレンマのようなものを感じてもいる。

(学術書含む)出版業は維持可能なのか? 学術にとって書籍の意義は? 編集者が関わることの意義は? 私だけでなく、この仕事に対してその意義をきちんと言語化できないもどかしさを感じている「学術書の編集者」は、実は多いのではないだろうか。

本書冒頭、著者は学術書出版が抱える問題点として、「粗製濫造」の進行を挙げている。つまり、急いで本をたくさんつくって、それらが売れないのでさらに本をたくさん作らざるを得なくなるという、出版業界が共通して陥っている悪循環だ。この傾向を反転させるために、よく言われることではあるが、「「粗製濫造」を戒めて書籍の質を上げ、そうした質の高い本を出版しているということで出版社の信頼性を高めブランド力としていく(p.12)」ことが必要だと言う。

そのためにどうすればいいのか? 本書の後半は、質の高い本をつくるための、企画の立て方や、著者との交渉の仕方などについて、著者の具体的経験を交えて指南する。出版社の信頼性を高めるための原稿の審査の考え方、採算性を保つ上で避けて通れない「出版助成」の扱い方といった、かなり専門的な(だがクリティカルな)テーマについても触れられていて、同業者なら非常に参考になる内容になっている。

しかし、本書の見所はそうした「編集者の心得」的なことに加えて、「なぜそもそも学術書が必要なのか」をじっくり考える道筋を示していることだろう。

さっきも書いたように、学術書の編集者はいつも次のような疑問を突きつけられている。 

  • 学問にとっての学術書とは何か。
  • いまこの時代に、学術書にはどんな役割があるのか。
  • 編集者はどんな価値を学術書に与えるのか。

昨年出た『学術書を書く』(鈴木哲也・高瀬桃子)でも指摘されていたように、書籍は唯一の学術的成果の発表の手段ではなくなっている。Webを使えばいくらでも発信ができるようになったいま、「学術書」というメディアの存在意義は何なのか*2。本書第1章では、この問いに真正面から挑んでいる。

著者が出発点とするのは、学問の場である大学にて専門領域間の分断が進んでいるという現状認識だ。専門家同士でお互いの分野の知識をもたなくなっているだけではなく、「お互いの学問領域に対するリスペクト(敬意や尊重)すら希薄化しているように見える(p.34)」という。その理由の根幹に、著者はそれぞれの分野が重みを置く「価値」への理解のなさを見る。そうした専門分野(ディシプリン)に固有の価値のことを、「徳(ヴァーチュー)」と著者は名づけている。この「徳」という考え方は、まさに多くの分野を専門家と深く付き合ってからこそたどり着いた概念だといえ、本書のハイライトの一つになっている。

そうした現状のもと、学術書の果たす役割は大きいと著者は考える。なぜなら、専門知のあいだに「垣根」があることを明らかにし、それを乗り越える「知の共通基盤」をつくる力が、学術書にはあるからだ。(なぜそれが「書籍」でなければならないかについては、「情報と作品の違い」「閉じる(=綴じる)ことで開く」などというキーワードで論じられているのだが、ここでは省く。)

では編集者がそのために果たす役割はなにか? 編集者の第一の仕事は、著者候補となる研究者を「何らかの形で触発して本を書こうと思ってもらう(p.26)」ことである。この触発を、著者は「挑発」と表現する。

たとえばAという分野で新しいおもしろい問題が出てきたときに、Bという分野でもそれと同様の問題が考えられることは結構ありまして、それをB分野の著者に伝えて「挑発」するのです。(p.31)

最も大切なのは、「学問のディシプリンを大切にしつつ、それを超え出る」よう促すということです。(p.26) 

いかにうまく「挑発」ができるかということが、編集者の腕の見せ所となる。「挑発」のスキルを磨くために、とにかく論文や書籍を読み込むこと、そのうえで、素人の視点から「私はこう読んだんですけど」と、その書き手に「読みをぶつける」ことを推奨する。

 

***

 

学術書の編集者なら、自らの仕事の「職業倫理」の、最高純度の形をこの本に見ることができるはずだ。もちろん、高い職業倫理をもって仕事をしていれば、必ず報われるというものではないだろうし、ここ十数年のあいだに日本語の学術書出版がビジネスとして成立しなくなることもありうるとは思う。それでも、この仕事をしている限りは、著者のような編集者になりたい、そんな風に思わせる力が少なくともこの本にはある。

一方、学術書の「書き手」あるいは「読み手」の立場の人々にとっても、本書を通して編集者という「産婆役」の存在を知ることは興味深いのではないかと思う。

*1:普段扱っているのは「理工書」なので、主に非理工系の学術書を念頭においた本書とはちょっとずれるかもしれない。とくに「技術書」と呼ばれるような本は、「学術書」とはだいぶ趣が違うような気もする。『技術書の編集者』も面白いかもしれない。

*2:「意義がある」ということ自体は著者は前提としているし、していいと思う。「本を読んだり書いたりするのは大事だ」と、多くの学術研究者は思っているはずなので。