『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を読んだ。読む前と後で行動様式が変わるような本に出会えることは多くないが、これはそうした一冊になりそうだ。本書は、主に人文系を対象とした論文執筆の指南書として書かれている。アカデミック・ライティングの本は数多く出されてきたであろうなかで、タイトルで「まったく新しい」と謳い、袖の紹介文には「類書の追随をまったく許さない」とまで自らハードルを上げている。驚くことに、この看板に偽りはない。
ここでは内容の説明はしない。ここでは、本書を読んでの「受け身」として、私がどうなったかについてメモしておこうと思う。
1)論文とは何かが初めて分かった。少なくとも、人文学を中心とする諸分野の、かつアメリカを中心に成立しているアカデミック・ライティングの規範において「論文を書く」という行為が何を意味しているのかが初めて理解できた。論文とは「アーギュメントを論証する文章である」と著者は言い切る。論文は、アカデミックな「会話」における発話の方法であり、それまでの会話の流れを踏まえて自分のアーギュメントを提示し、それを論証したものだという。Aさんがこうargueしたことに対して、Bさんはこうargueしたが、それに対して自分はこうargueする。このargumentが論文単位でやりとりされ、その相互引用により、アカデミックの知が「会話の総体」として積みあがっていく。私はこのゲームの構造を知っていたようで明確には理解していなかったように思う。とくにリサーチ・クエスチョン、つまり「問い」は実は論文にとっては「あってもなくてもよい」ものだという指摘は、本書のパンチラインだろう。著者もたびたび指摘するように、日本のアカデミアや、人文系以外では必ずしもこの「会話」の流儀が標準であるとは限らないものの、自分が読んできたものの多くは言われてみれば当てはまる。明日から論文を読むときの感覚が変わると思う。
2)論文を書いてみたくなった。アーギュメントを一つ掲げてそれを論証する論文というものを、私は書いたことがない。これに従えば自分にも書けそうだと思えるくらい、本書の指南は具体的だった。いつか一本、書いてみたいと思った。
3)論文以外の文章が何をしているのか気になった。本書は、あくまで「論文」を書き上げるための技術の指南書であることに徹している。「何となく書く/書けない/書けた」ということを許さない水準にまで方法論を突き詰めている本書では、「プロとして」「ミスなく」論文を書く感覚が、限りなく言葉にされている。これを読んで気になったのは、論文以外の文章、たとえば本書自体のような「教科書」や、総説論文、新聞や雑誌の記事、政策系のレポート、エッセイ等は、何をしているのだろうかということだった。それらの文書に「仕事として」関わる者は、著者が本書が論文に対してしたのと同じくらい、その文章の機能をもっと厳密に言い当てることができるのではないか。そして、「プロとして」「ミスなく」書く方法論を磨き上げることができるのではないか。
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本書の大きな特徴に、そして多くの読者の琴線に触れるであろう部分として、「発展編」と題された2つの章がある。「これに従って書くのだ」というトーンのそれまでの実践的な論文執筆指南から一転して、「何のために書くのか」「そもそも人文学研究の意義とは何か」といった、論文執筆というゲームそのものの価値論に話が及ぶ。ただしこのパートは、論文を書けるようになった後に考えるべきことだと著者はくぎを刺す。継続して論文を書き続けるのに「役立つ」という位置づけでこれらの章を「発展編」に据えていることに、本書を一貫して「ノウハウ」の本として仕上げるという著者のストイックさが表れていると思った。