重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:『脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす』

 

脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす (ブルーバックス)

脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす (ブルーバックス)

 

「え、甘利先生のブルーバックスが出たの? 読むしかない!」

そんな勢いでこの本を手に取った人は少なくないと思います。

僕ら(機械学習など数理工学まわりの研究を齧ったことのある僕ら)にとって、甘利先生というのは神様みたいな人だからです。御歳80歳。どれくらいすごい先生なのかというと、まずは、脳の理論的な研究で数々の世界的な業績を残した方です。それから、情報理論幾何学を結びつけた「情報幾何」の分野の創設者としても知られています。そして、錚々たる面々の弟子たち。おそらく脳の理論的研究に関わる人のほとんどが甘利先生の孫弟子か曾孫弟子にあたると言っても過言ではないという、そんな大学者なのです。

このタイトルで先生が本を出すというのは、自分としては少し意外な感じがしました。というのも、数十年にわたって脳の理論研究の第一線を率いてきた甘利先生とはいえ、先生の関心の持ち方はどちらかというと数学者のそれであって、脳から派生した数学的問題を解くことに重きを置いている印象があったからです。「心とは何か」とか「人工知能の未来」などについては、思うところがあったとしても軽々しく語らない。そんなストイックさを感じてもいました。

しかし、禁欲を破って(もしくは編集者からの懇願に屈して?)、ブルーバックスを書かれた。無条件で購入することを決めました。ただ、楽しみな一方で、不安な面もありました。一つには、「ごく普通の脳科学・人工知能の解説書」になってしまって、とくに甘利先生が書くまでもない本なのでないかという懸念。もう一方では、看板こそ一般書だが、実際には数式メインのバリバリの専門書になってしまっているのではないかという心配がありました。

しかし、まったくの杞憂でした。

まず、タイトルにたがわない、脳科学・人工知能研究のすぐれた入門書になっていると感じました。①脳の生物学的研究、②ニューラルネットワークを中心とする脳に学んだ機械学習の研究、そして③人工知能研究という、方向性の異なる三つのアプローチの研究の流れと相互の関係を、足早に、しかし緻密に解説しています。著者に興味がなかったとしても、脳・人工知能の(理論寄りの)入門書として、おすすめできます。

また、ところどころに「少し脱線して…」という前置きのもと著者の個人的な研究エピソードを回顧している箇所があって、ここが面白い。昨今のディープラーニングにもつながる、ニューラルネットワークの重要な技術的ブレイクスルーの一つに「逆誤差伝播法」がありますが、これは実は甘利先生が「確率降下法」という名称で数年前に発明済みであったそうです。スタンダードな研究史では、その時期は「ニューラルネットワークブームの狭間の暗黒期」ということになっているが、著者に言わせれば実際には日本などでは研究がどんどん進んでいた。当事者だからこそ書ける研究史だと思います。(そのほか、ホップフィールドモデルという有名な連想記憶のモデルも、本当は甘利先生が初めて発案だったものだそう。「先生の業績、外国人に持っていかれすぎでしょ!」という感想とともに、これほど偉大な数理工学者を抱えていながら、現在遅れをとっている日本の人工知能機械学習の分野の歩みはかなり不味かったのでは?と思わずにはいられませんでした。)

入門書としてもおすすめできるし、当事者ならではの研究裏話も楽しい。でも、それだけではない。自分のように甘利先生の凄さを間接的にでも知っている読者が本書に期待してしまうのは、やはり先生の「学問観」でないかと思います。脳科学の達成度について、昨今の人工知能ブームについて、心や意識に迫れるのかについて、今後進めるべき研究について、甘利先生はどう考えているのか。そういう個人的な「思い」は科学の本質ではないかもしれません。甘利先生自身もまた、これまで敢えて語ることはなかったように思います。しかし、それが本書にはちゃんと書かれている。僕のような読者は、どうしてもそこに目が行かざるをえません。

  • 脳を「分かる」ためには? → シミュレーションは重要だが、それだけでは不十分。理論が必要。(p.66)
  • シンギュラリティは? → 「私はこのシナリオ※を信じない(p.194)」※2045年に人工知能が人間の手を離れ、勝手に進化できるようになる、とするシナリオ。
  • ディープラーニングは「概念を獲得」できている? → Googleの猫の概念を獲得したニューロンというデモンストレーションについて、「私はこの説明では納得できない(p.189)」。単一細胞の表現に「概念」が学習できているとするのは間違い。
  • ロボットは心を持つか? → 原理的には可能。しかし、実質的には無理。心を持てるかどうかは、一回性のある人生を生きているかにかかわる。
  • 自由意志はあるか? → ミクロレベルの因果律は決定的だが、マクロレベルではダイナミクスのカオス性により自由意志をもつ余地がある。

本書で表明されている著者の意見はどんなものか、以上備忘録として書きました。

もちろん一研究者の考え方であって、これが正しいわけでも、科学的な意味を持つわけでもないと思います。ですが、甘利先生が自身の考えをこの本で述べていた、ということ自体は貴重なのではないかと思いました。

この本を書いてくれた著者への感謝とともに、脳の理論的理解がさらに進むためには、おそらく甘利俊一クラスの研究者が出てこなければならないのかも、という感想を抱きました。願わくば、そんな人材が日本から出て欲しい。それは甘利先生の思いでもありそうです。