重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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探究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで解明したのか? 〈第3回:記憶はシナプスに宿るという統一見解〉

前回は「エングラム」という概念を紹介しました。記憶の研究者たちは、一貫して、このエングラム、つまり脳の中の記憶の物理的実体を探してきました。

エングラムの所在についての「統一見解」

では、エングラムの所在について、現在の脳科学はどう考えているのでしょうか。

一例として、2016年に出された次の論文を見てみます。

  • Mu-ming Poo. "What is memory? The present state of the engram." BMC biology 14.1 (2016): 40. (corresponding author Michele Pignatelli, Tomás J. Ryan, Susumu Tonegawa,corresponding author Tobias Bonhoeffer, Kelsey C. Martin, Andrii Rudenko, Li-Huei Tsai, Richard W. Tsien, Gord Fishell, Caitlin Mullins, J. Tiago Gonçalves, Matthew Shtrahman, Stephen T. Johnston, Fred H. Gage, Yang Dan, John Long, György Buzsáki, and Charles Stevens. )

この『記憶とは何か?エングラムの現況』と題された論文には、第一線の神経科学者たちが「エングラムはどこにあるか」についての意見を寄せています。寄稿者には利根川進氏の名もあります。編者のMu-ming Poo氏は、冒頭で次のように述べています。

There is a clear consensus on where the memory engram is stored—specific assemblies of synapses activated or formed during memory acquisition—and a substantial body of knowledge on how the engram is generated and maintained in the brain. However, knowing the building blocks and their properties is far from understanding the architecture of the “memory palace”. (粗訳:記憶エングラムがどこに貯蔵されているかに関しては明確なコンセンサスが存在する。それは、エングラムは記憶の獲得時に活性化あるいは形成される特定のシナプスの集合にある、というものである。また、エングラムが脳内でどのように生成され、保持されるのかに関しても、多くの体系化された知識が得られている。しかしながら、エングラムの部品やその性質を知ることと、「記憶の宮殿」のアーキテクチャを知ることはまったく別である。)

前半部分を読むと、「エングラムはシナプスの集団に存在する」という見方がコンセンサスになっているとされています。

説明は不要だと思いますが、シナプスとは、神経細胞ニューロン)間の結合部のことです。シナプスは可塑性、つまり、様々な条件によってその強度を変える性質が知られています。シナプスの「強度」とは、ニューロンが隣のニューロンに信号を伝えるときの伝わりやすさのことです。このメカニズムを通して、脳は記憶をシナプス強度のパターンとして保持することができます。これが、現在の神経科学者たちの一致した見解となっているようです。

ここで「記憶の種類」や「生物種」についての限定がないことは特筆すべきと思います。つまり、このメカニズムは潜在的記憶/顕在的記憶、短期記憶/長期記憶、非脊椎動物の記憶/哺乳類の記憶といった区別を問わず、あらゆる記憶に共通するものなのです。これはなかなかすごいことで、この機構は、「生物の体は細胞でできている」「遺伝情報はDNAで伝達される」などと並ぶような、生物学の中でもとくに普遍性の高い原理と言えるかもしれません。

もちろん、先の引用の後半でMu-ming Poo氏も述べているとおり、「シナプス可塑性が記憶を支えている」という事実だけをもってして記憶が「解明」されたことにはなりません。たとえば、自動車が走る仕組みを説明する際、「ガソリンが必要」というだけでは不十分で、「エンジンの構造」や「燃料の化学エネルギーが力学的エネルギーに変換される仕組み」を説明しなければなりません。それと同じで、

  • シナプスの集合は、具体的に、どのように記憶を形成しているのか?

が次なる疑問となります。そこのところを、利根川氏はじめ第一線の研究者たちがどう考えているのかを調べるのが、この連載の終盤での主題になると思います。

そこに行く前に、ここでちょっと立ち止まって、次のことも押さえておきたいです。

  • なぜそれシナプス可塑性が記憶のメカニズムだということ)が言えるのか?

つまり、どんな実験事実を根拠に「シナプス可塑性が記憶を支える」ということが定説になったのでしょうか。それ以外の可能性は本当に排除されたと言えるのでしょうか。

シナプス説 vs 分子説

ある脳内現象がエングラムであると言えるためには、人(や動物)の経験に応じて、その現象が何らかの変更を受け、その変更をあとから何らかの方法で読み出せる、ということが必要です。第1回では、フォン・ノイマンが「記憶装置」の候補として様々な可能性を列挙したことを紹介しましたが、ノイマンの書きぶりからは、当時はとくに「シナプス説」が有力というわけではなかったことが窺えます。

シナプス説が常識になる以前、それに並ぶ仮説として「分子説」というものがあったそうです。これは、記憶が脳内の「分子」に蓄えられているという考え方で、DNAの発見に大きく影響を受けています。遺伝情報がDNAという巨大分子によって担われているのと同じように、脳内の記憶も、何らかの分子が担っているのではないかという発想です。とくに1960年代から70年代にかけては、細胞内のRNA分子が記憶の貯蔵に関与しているのではないか、という説が検討されていました。

なかでも興味深いのは「記憶の転移(memory transfer)」に関する研究です。これは、ある記憶が記銘されているRNAを他の動物に注入することでその記憶を移すことができる、というアイディアでした。たとえば、1962年にMcConnellという人は、扁形動物のプラナリアに条件付け学習を行い、その体を別のプラナリアの個体に食べさせて移植する、という実験を行いました。すると、驚くべきことに、もとの個体の学習結果が継承されました。こうした研究成果をもって「RNA=記憶分子」ではないかという機運が高まったそうなのですが、その後、McConnellの実験を含め、一連の研究の解釈に誤りがあったことが判明します。たとえば、プラナリアRNA移植の実験は、移植操作自体によって学習が転移したかのような効果が出てしまっていた、と解釈されているそうです*1

分子説は棄却されたのか

RNAが記憶分子であるという考え方はおおむね否定されました。それでは、「エングラム=分子」説は、全体として棄却されたと言えるのでしょうか。

二つの意味で、そうではないと思います。

第一に、依然として「記憶分子」が存在する可能性が残されています。例えば前述の"What is Memory"論文のなかで、Andrii RudenkoとLi-Huei Tsaiらは、ニューロンの核の中にあるDNAのエピジェネティックな修飾が、記憶を担っている可能性があることを提唱しています。これは「分子説の見事な復活」とも言えるかと思います。

第二に、シナプス説と分子説は必ずしも矛盾するものではない」ということがあります。

このことをはっきり書いているのが、『脳の可塑性と記憶』という本です。 

脳の可塑性と記憶 (岩波現代文庫)

脳の可塑性と記憶 (岩波現代文庫)

 

この本は、昭和の神経科学者、塚原仲晃(つかはら・なかあきら)氏が30年ほど前に書いたものです(2010年に岩波書店から復刊)。実は著者が執筆途中で御巣鷹山の墜落機に乗り合わせたため死去し、一部の章が未完に終わっています。非常に分かりやすく、かつ詳細に記憶の脳科学を解説しており、「こんな学識の高い神経科学者がいたのか!」と驚きます。この本の現代版を、ぜひどなたかに書いていただきたいです。(そうすれば、このブログは不要になります(汗)。)

説明の「階層」

さて、実は記憶の「分子説」「シナプス説」という言葉遣いは、実はこの本に倣ったものでした。塚原は、両方の説について説明したうえで、両者が必ずしも矛盾しないと言います。

記憶の分子説とシナプス説との論争は、かつての光の粒子説と波動説に似た情況にあるといえようか。(…)量子力学の登場は、まったく異なる次元でこの二つの対立を止揚したのである。(…)同様に、シナプスとは脳における物質=分子の存在様式であり、これがその物質=分子と切り離しては考えられないからである。(…)ただ、この二つの説は、いまだ統一的に説明されるレベルにまで到達していない。統一されるためには、それぞれの立場での問題点が浮き彫りにされなければならないからである。(p.101)

量子力学を引き合いに出してちょっと高尚な感じに書いていますが、ここで著者が言おうとしているのは、具体的には、記憶の説明には分子のレベルの説明とシナプスのレベルの説明があり、両立し得るということです。これは、シナプスの現象も、さらに細かく見れば分子の現象として記述できるからです。さらに以下のように続けています。

脳を研究する上で分離できるいくつかの階層がある。それぞれの階層には、基本的素子が存在していて、神経細胞やそのシナプスは一つの基本的な階層であり、また蛋白質核酸といった分子はその下の階層での構成要素である。ことの順番からいえば、記憶が神経細胞のレベルで明らかにならないで、分子のレベルで明らかになることはありえないのであって、ひとまず神経細胞のレベルで把握された上で、その分子的機序が明らかにされたとき、はじめて光の粒子説と波動説とが統一されたような形で終結するのではあるまいかと考えられるのである。

そして当然、階層はシナプスでは終わりません。

しかし、シナプスの可塑性が記憶とか学習へつながっていくためには、次の階層、すなわち神経回路網のレベルでの可塑性が問題になる。(p.102)

このように、「階層」というのはとても大事な考え方だと思います。極言すれば、脳内現象のあらゆる階層それぞれにエングラムが見出せるのかもしれません。

おわりに

以上の塚原の論点を踏まえて、最初に述べた「シナプス可塑性=エングラム」という「統一見解」にあらためて戻ってみます。すると、これはつまり、

数ある階層のうち、少なくとも「シナプスのレベル」では、シナプス可塑性がエングラムとなっている

ということだと解釈できます。他の階層のことは分からないけれども、少なくともシナプスという階層において、普遍的な記憶のメカニズムが存在している、ということなのだと思います。

シナプス可塑性が学習や記憶に重要だということを確証したのは、1970年代以降の一連の研究でした。次回はその流れを見ていきたいと思います。

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*1:Chapouthier, Georges. "From the search for a molecular code of memory to the role of neurotransmitters: a historical perspective." Neural plasticity 11.3-4 (2004): 151-158.