重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

探究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで解明したのか? 〈第2回:エングラムとは何か〉

前回フォン・ノイマンの著作を取り上げ、彼が「脳の「記憶装置」は何か?」を問うたことを紹介しました。ノイマンはコンピュータから発想したので、「記憶装置」(原文だとおそらく単に“memory”=メモリ)という言い方をしていましたが、神経科学の本でよく使われているのは記憶痕跡(memory trace)、あるいはエングラム(engram)という言葉です。

「エングラム」は聞き慣れない言葉ですが、20世紀前半のドイツの生物学者、リチャード・ジーモン(Richard Semon)による造語だそうです。『つながる脳科学』(講談社、2016)で利根川進氏は次のように解説しています。

ジーモンが名づけた「エングラム(記憶の痕跡)」とは、記憶に伴う脳内の変化のことです。記憶そのものの情報といってもいいでしょう。エングラムという言葉は、おそらくデザインを石などに刻む、彫刻する」という意味の英語「engrave」からの造語です。(p.24)

つまりエングラムとは脳の中の記憶の物理的実体のことであり、ノイマンの「記憶装置」と同じものだと思ってよさそうです。ちなみに、同書ではこの引用箇所のすぐあとで、利根川氏は

そのエングラムを保持するニューロン群、「エングラムセル」を〔私たちが〕発見しました

と続けているのですが、その話はまたあとで。

「エングラム」とはいかなる概念か

ここでちょっと気になるのが、エングラムという概念の定義です。エングラムという言葉が初めて登場するのは、1921年ジーモンの論文の中だと言われています。

しかし、脳の中に記憶の物質的実体があるという考え方自体は、ジーモン以前からあったようです。そうした考え方の元祖として、解説書でよく出てくるのはデカルトです。たとえば、池谷裕二氏の『記憶力を強くする』(講談社ブルーバックス、2001年)では、デカルトが『情念論』という本のなかで「記憶の痕跡」について語っていることが紹介されています。デカルトは記憶痕跡を脳の中の「気孔」や「精気」といったものの働きとして説明しており、池谷氏はこれをシナプス可塑性を先取りした考え方だとして注目しています(『記憶力を強くする』p.148あたり)。

 

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

脳の中に記憶の痕跡があるという考え方が、少なくともデカルトの時代からあったなら、なぜわざわざそれに学術用語を割り当てる必要があったのでしょうか。ジーモンの記憶理論を詳しく論じた、次の論文を見つけたので読んでみました。

Schacter, Daniel L., James Eric Eich, and Endel Tulving. "Richard Semon's theory of memory." Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior 17.6 (1978): 721-743.

出版が1978年とかなり古いものですが、著者のダニエル・シャクターはジーモンについての伝記(“Forgotten ideas, neglected pioneers: Richard Semon and the story of memory”, 2001)の著者でもある神経科学者、また、共著者のエンデル・タルヴィングは「エピソード記憶」の概念の提唱者として有名な人です。

この論文では、まず、「エングラム」はメモリートレース(=記憶痕跡)と同義である、ということが書かれています。ジーモンはよく「忘れられた研究者」(シャクターの著書のタイトルでも“neglected pioneers”とされています)と言われるのですが、その理由の一つが、「エングラム」など独自の用語を作りすぎたからではないか、と著者らは推測しています。

そのほか、この論文を読んで分かるのは次のことでした。 

  1. 当時は、記憶が物質的であるということは常識ではなかった。記憶の実体がphysicalなものかpsychicalなものか、という未決着の論争があった。
  2. ジーモンは単に「エングラム」という言葉をつくっただけでなく、記憶のメカニズムについての具体的な理論を提唱していた。とくに記憶の「想起(retrieval)」のプロセスに着目した点で当時としては新しく、今日の記憶研究を先取りする考え方だった。

1.のpsychicalというのは、心的、あるいは霊的と訳せばよいでしょうか。つまり、20世紀初頭においては、「脳がすべて物質の働きで説明できる」という考え方はそれほど自明ではなかった。そのため、物質的な記憶痕跡、つまり「エングラム」の存在自体が、仮説(セオリー)と言える状態だったようです。

2.の点においては、ジーモンは記憶の本質を捉えていました。しかし、肝心の「エングラムの正体」については、彼は憶測を述べるのを避けたそうです。

Semon declined to hypothesize about the precise form of this biological storage, arguing that in the limited state of then contemporary physiology, such speculation was unwarranted. (粗訳:ジーモンは、この生物学的な〔記憶の〕貯蔵の具体的な形式については、仮説を立てることはしなかった。当時の生理学の限定的な状況では、そうした推測を裏付けることはできない、と彼は主張した。)

「エングラム」という言葉は残った

ジーモンの理論は、シャクターら一部の研究者を除いてはあまり省みられることなく、忘れられました。しかし彼の作った「エングラム」という用語だけは残り、神経科学の標準的なボキャブラリーとして定着したようです。

記憶の研究者たちは一貫して、この「エングラム」を探してきたと言えます。じっさい、Google scholarで調べてみると、時代ごとの記憶研究の第一人者たちが、以下のような「エングラムは見つかったのか?」というようなレビュー論文を書いています。

  • Lashley, Karl S. "In search of the engram." (1950).
  • Thompson, Richard F. "The search for the engram." American Psychologist 31.3 (1976): 209.
  • Ledoux, Joseph E. "The Continuing Search for the Engram." Psyccritiques 30.3 (1985): 202.
  • Josselyn, Sheena A., Stefan Köhler, and Paul W. Frankland. "Finding the engram." Nature Reviews Neuroscience 16.9 (2015): 521-534.
  • Eichenbaum, Howard. "Still searching for the engram." Learning & behavior 44.3 (2016): 209-222.

ジーモンの論文から95年が経った2016年ですら、“still searching for the engram"なのが面白いと思いました。

おわりに

長々書いてきましたが、今回わかったことは、結局

「エングラム」には「記憶の痕跡」という以上の深い意味はない

ということでした*1。特殊な意味を持たないからこそ、100年近く生き延びてきたのかもしれません。

では、研究者たちはエングラムをどう探求してきたのか。神経科学者たちのコンセンサスとなっている見方を、次回は探っていきたいと思います。

rmaruy.hatenablog.com

*1:ただ一つ思ったのは、「痕跡」というと静的なイメージがあり、なんらかのダイナミクスのなかに記憶があるという可能性を暗黙のうちに除外してしまっていて、その点、「エングラ厶」という言葉は余計なニュアンスを含まないのが良いのかもしれません。このあたりはぜひ研究者の方の意見を聞いてみたいところです。