重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

【再掲】読書メモ:ホモ・デウス(ユヴァル・ノア・ハラリ著)…人間イズムの危機

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

 

邦訳が出たので、原書を読んだときの読書メモを再掲します。

訳者は"humanism"を「人間至上主義」、"dataism"を「データ至上主義」と訳しています。たしかにカタカナの「ヒューマニズム」よりは「人間至上主義」のほうが、著者が"humanism"に込めたニュアンスをよく表しているように感じられ、なるほどと思いました*1

 

 

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Homo Deus: A Brief History of Tomorrow

Homo Deus: A Brief History of Tomorrow

 

話題の歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の最新作。人類の全歴史を独自の切り口で描いた『サピエンス全史』に引き続き、本作では人間の「未来」を展望する。

これからホモ・サピエンスはどうなるのか? 著者は、今後数十年、長くても100年くらいのうちに、もはや別の生物種と言えるほど人間は今とは違う存在になるのではないかと予想する。

we will now aim to upgrade humans into gods, and turn Homo Sapiens into Homo Deus (Ch.1より引用)

ただし、ここでの「神(god, deus)」は「全知全能」というよりは「自ら生命を設計できる存在」という意味合いだ。さまざまな技術を編み出して貧困や病気を乗り越えてきた人類だが、その延長線上にある21世紀の遺伝子工学やサイボーグ技術は、ホモ・サピエンスを「ホモ・デウス」にアップグレードするだろうと著者は言う。

これだけ聞くと、またそんな話か、と思うかもしれない。「大半の職業がAIに奪われる」「シンギュラリティが到来する」「人生100年時代」といった未来予想を、近頃私たちはうんざりするほど聞かされている。それらとどこが違うのか。

未来予想は、常に、過去の事例を集めて、それを未来に外挿することによって行われる。その点、ハラリ氏の頭の中にある「ホモ・サピエンスの全歴史」は、未来予想で使いうるデータとしては最大のものと言える。それを生かした著者ならではの視点が、本書の見どころとなっている。

その視点とは、人間のもっている「価値観」の変化に焦点を当てていること。未来についてあれこれ考える私たちの思考の土台である「価値」そのものを相対化し、その変容も含めた未来予測を行っていることだ。

 

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本書は3部で構成されており、それぞれが人間の「いままで」「いま」「これから」に対応している。「いま」私たちが共有している価値観とは何か。第2部にて詳しく説明されるが、端的に言えばそれは「ヒューマニズム」という価値観である。

For centuries humanism has been convincing us that we are the ultimate source of meaning, and that our free will is therefore the highest authority of all. (Ch.7)

ヒューマニズム。尊重されるべきは個々の人間であり、すべての物事に価値や意味を与えるのは個々人の心であるという考え方だ。現代社会の法制度・経済・教育はすべてヒューマニズムにもとづいている。リーダーは選挙で選び、商品の良し悪しは市場が決め、何にもまして人権が優先される。

しかし、ヒューマニズムホモ・サピエンスの行動を導いてきた普遍的な価値観というわけではないということが、先立つ第1部を読むとわかる。このパートでは、ヒューマニズムという価値観を人間が共有するまでの経緯が足早にたどられる(内容は一部『サピエンス全史』と重なる)。7万年前のサピエンスに起こった「認知革命」は、人間が大勢で協力することを可能にしたが、それは、主に大勢の人々が同じ幻想を共有することを通じて可能になった。この共同幻想は、ストーリー、虚構(fiction)、“宗教”などと著者は呼ぶが、これにはキリスト教や仏教などの狭義の宗教だけでなく、「貨幣」「国」「会社」など現代社会に欠かせない約束事も含まれる。

Fiction isn't bad. It is vital. Without commonly accepted stories about things like money, states or corporations, no complex human society can function. (Ch.4)

そして、21世紀初頭の私たちが共有している最大の“宗教”こそ、「ヒューマニズム」である。ただし、ヒューマニズムをみんなが信奉するようになった理由は、それが絶対普遍的に正しいからではなく、いまこの時代において「うまくいく共同幻想」だからにすぎない。したがって、それは時代とともに変わっていく可能性がある。では今後、ヒューマニズムはどうなるのか。それが第3部のテーマとなる。

ヒューマニズムの理想は、人間を「より健康に」「より幸福に」することだった。しかし、次のように著者は言う。

attempting to realize this humanist dream will undermine its very foundations by unleashing new post humanist technology. (Ch.7)

ヒューマニズムを実現するための技術がヒューマニズムを切り崩していくとはどういうことか。著者の挙げる論点の一部をまとめると次のようになる。

  • 脳や遺伝子の生物学的解明が進むと、「自由意志」で説明されてきた人間の行動が、生物化学的プロセスによる説明で置き換えられていく。
  • ウェアラブルバイスのデータや23&meでわかる遺伝情報など)個人に関する生物学的データが増えてくると、個人の「気持ち」ではなくそうしたデータに意思決定をゆだねるほうが合理的になる。
  • 個人の「意思」や「欲望」自体を(脳への刺激などによって)変えることができるようになると、人々の「意思」を最上のものとすることが意味をなさなくなってしまう。

こうしてヒューマニズムはボロボロになり、時代遅れな“宗教”となってしまう。それに代わり、ある新しい“宗教”がでてくる。著者が「データイズム(dataism)」と名づける価値観である。データイズムは、生物を情報処理のデバイスとみなす。

Dataism thereby collapses the barrier between animals and machines, and expects electronic algorithms to eventually decipher and outperform biochemical algorithms. (Ch.11)

新しい“宗教”は、古い“宗教”を自分の枠組みの中で解体する。ヒューマニズムが「神は人間の心がつくったものだ」として一神教宗教を解体したのと同じく、こんどはデータイズムが「人間の心は生物化学的なアルゴリズムがつくったものだ」として、ヒューマニズムを解体する。

データイズムという“宗教”のなかでは、なるべく大きな情報の流れのなかに身を置き、そこに自分のデータを提供し、また周りのデータを活用することが「善」とされる。一見わかりにくい主張なのだが、次の一節などを読むと少し実感がわく。

Dataists believe that experieces are valueless if they are not shared, and that we need not -indeed cannot-find meaning within ourselves. (Ch.11)

10年前には自分がFacebookのようなサービスを使っていることを想像すらできなかったことを考えれば、こうしたデータイスト的価値観を急速に内面化しつつあることに、誰しも思い当たるのではないだろうか。また、蛇足になるが、こんな記述もあった。

Twenty years ago, Japanese tourists were a universal laughingstock because they always carried cameras and took pictures of everything in sight. Now everyone is doing it. (Ch.11)

たしかに。日本人は世界に先駆けてデータイスト化していたのだろうかなどと興味が沸く。

以上のように「ヒューマニズムからデータイズムへの変化」のシナリオを描いて著者は筆をおく。この変化についての、著者自身の価値判断については明言はしていない。

It won't be a necessarily bad world; it will, however, be a post-liberal world. (Ch.9)

印象としては、著者は「データイズム」に対しては「心をアルゴリズムに還元する」点で望ましくないと考えている一方、「ヒューマニズム」のほうも、人間以外の動物(家畜など)の不幸を顧みない点で賛同していないように感じた。

ともかくも、今、全人類の心に起こっている変化に目をひらかせてくれる一冊だった。日本語版が出れば、前作にも劣らない話題の書になるだろう。

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以下、関連書の読書メモです。

…ハラリ氏の前著『サピエンス全史』。

 

ヒューマニズム(人間至上主義)へのスタンスがハラリ氏と対照的なスティーブン・ピンカー氏の最新刊。ぜひ二人が真正面から議論するのを見てみたい。

 

…もし、『ホモ・デウス』の後半部で描かれる未来予想が大げさだと思った人がいたとしたら読むべき本。すでに「データ至上主義」的な世界が一部現実のものとなっていることを教えてくれる。

 

*1:その反面、"humanism"という言葉の使い方に現れる著者のスタンスといったものがが分かりにくくなるといったデメリットもあるように思いました。たとえばスティーブン・ピンカー氏の著作"Enlightenment Now"では、"humanism"が当然擁護すべきものとして扱われていて、この本で「人間至上主義」の訳は使えないはずです。カタカナの「ヒューマニズム」だとプラスのイメージががあり、「人間至上主義」だと何か初めからマイナスのイメージが感じられる。とするならば、「人間イズム」などはどうでしょうか。読みやすさ的に絶対に採用されないと思いますが…。