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読書メモなど

読書メモ:数学がいまの数学になるまで(Zvi Artstein著)

数学がいまの数学になるまで

数学がいまの数学になるまで

 

人生で何度か、「数学は好き?」と聞かれたことがある。

そのたび、困ってしまう。

「好きです」とは言えない。むしろ、ずっと苦手意識をもっていた。中学や高校での「問題が解けなかった経験」のせいだと思う。数学の問題で、どれだけ考えても答えが出せない。自分の頭の鈍さを思い知らされる。そんなことが続いて、数学は私にとって憂鬱な科目になってしまった。

でも、それと同時に、数学にはどこかしら惹かれるところもあった。初めて三角関数を習ったとき、あるいはlog xの微分が1/xになることを知ったときに味わった、少しだけ新しい世界が開けたような気分。その気分は、もしかしたら「好き」の萌芽だったかもしれない。

ある面については苦手だが、ある面には少し興味がある。そんな数学について考え出すと、数学とは何か、よくわからなくなってくる。というか、そもそも知らなかったことに気づく。数学っていったい何なんだ。何だか知らないものを好きかと聞かれても、答えに窮するのも当然だ。

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数学について知らないのは、大学の数学科を出ていないのだから当たり前だと言われるかもしれない。でも、数学の捉えどころのなさは、法学を専攻していない人が法学の何たるかを知らないのとは、別次元のものに思える。

…数学とは何か?

歴史学とは何か?」とか「天文学とは何か?」であれば、「歴史/天体についての学問」で一応答えになっている。しかし、数学については、「数についての学問」では明らかに不十分だ。「数や、図形や、集合や、多様体や、etcについての学問」としたところで、よくわからない。

たぶん、こと数学に関しては、数学の教科書を読んでも、百科事典の説明を読んでも、はたまた数学を実践してさえ、その何たるかは理解できない。

そして、思うにその理由は、

  • 数学は、ほかの学問とは方法論(頭の使い方)がまったく違うこと
  • 数学は、時代ごとの跳躍をいくつも経て現代の形になってきていること
  • 数学は、ほかの学問に「応用」でき、その基礎となってきたこと

などにあるのではないだろうか。だとすると、「数学とは何か?」に答えるためには、

  1. 数学は、どのような頭の使い方をする学問か
  2. 数学は、どのように作られてきたか
  3. 数学は、ほかの学問とどう関係しているか

を知らなければいけないはずだ。

少なくとも私は、学校ではこれらのどれも教わった記憶がない。

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前置きが長くなった。

今日ご紹介したいのは、2018年3月に翻訳が出た『数学がいまの数学になるまで』という本。まさに、上記の1~3の観点から、「数学とは何か」を教えてくれる一冊となっている。

著者はイスラエルの数学者。力学系最適化問題、制御理論など数学分野で業績があり、数学教育にも造詣が深い人らしい。

本書の前半部は、邦題のとおり、数学の発展がたどってきた歴史的道のりが描かれていく。初期の文明の数学がどんなものだったか(第1章)、ギリシャ人たちがいかに自分たちの世界観を数学に結びつけたか(第2章)、そして近代になり、科学の方法論と数学がいかに密接に結びつくようになったか(第3,4章)などが、興味深いエピソードや人物紹介とともに語られていく。

本書の特徴といえるのが、第1章が、古代文明からさらにさかのぼって「動物の数学」の話から始まっていることだ。カラスなどの一部の動物は数える能力をもっていたりするが、人間の数学的能力は、明らかにそうした進化が用意した能力の延長線上にあると著者は指摘する。一方で、人間の数学は、生物進化で想定された機能を大きく超えて発展してきている。この、「進化に有利な数学」と「進化と関係なく人間が作っていった数学」の区別があることは、本書のメインの主張の一つになっている。たとえば、最後のほうで、数学教育について次のような提言をしている。

数学におけるいくつかのテーマは数百万年の進化を通じて発達した人間の直観に整合していますが、そのほかのものは進化の闘争において何ら利益をもたらすことがなく、自然な直観に反しています。この区別は、教授法や学習法に反映されるべきです。(p.381)

中盤は、確率論・統計学の誕生と発展を扱う第5章「ランダム性の数学」、経済学や社会学でどう数学が使われてきたかを解説した第6章「人間行動の数学」、計算機科学と数学との関係を描いた第7章「計算とコンピューター」というように、重要な応用分野と数学との関わりを、各章で一つずつ取り上げている。

そして終盤では、さらに核心をつくテーマが3つ並ぶ。

第8章「本当に疑いがないか」では、20世紀初頭のいわゆる「数学の危機」の時代にどういう問題意識で数学基礎論が発展していったかについて、そして現代の数学は本当のところでは「正しさ」についてコンセンサスがないままである事情について説明している。第9章「数学における研究の性格」では、現代の数学者が実際にやっていることについての素描がなされる。そのなかでは、「数学に特有の『数学的思考』などというものはない」、「応用数学純粋数学の区別は人為的なものであって、そもそも純粋数学という概念自体が有効ではない」という、ややラディカルな持論も展開されている。最後の第10章では、数学の教育法について、著者の子供の学校のPTAでの経験なども織り交ぜて、著者の意見が披歴される。先に引用したように「進化が用意した数学的能力に注意を払うこと」が著者の主張の中心に位置となっている。それに加えて、「数学にとってテクニックやひらめきは本質ではない」という主張がなされていて、個人的には心強かった。

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以上、ざっくりと本書の流れを紹介したが、触れることができたのは、本書の内容のほんの一部。もっともっと多くのことが書かれている。

本書を読んだいま、「数学とは何か」という問いに対して、格段に見通しがよい地点に立っている実感がある。もちろん、数学についての核心的な問いは残る:

  • 数学の正しさとは何か(≒数学の証明とは何か)
  • 数学はなぜ応用できるのか

これら二つ(「証明」と「応用」)は、イアン・ハッキングが「数学の哲学が存在する理由」として挙げているくらいで、もちろん本書でも、オープンクエスチョンとして残されている。

それらの哲学史上の謎は残るにしても、本書からは数学について多くのことが学べる。私個人が、本書から感じたとったことをあえて一言にまとめるならば、

  • 数学の歴史は、人類が自らの思考能力のハードウェア的限界を押し広げてきた歴史である

となるだろうか。別の言い方をすると、人間が進化的に獲得してきた思考法とは違うしかたで考えることを最も純粋なかたちで学べるのが「数学」なのではないかと思える。そう考えると、中学や高校で習う数学というのは、人類の知的飛躍というものを追体験できる恰好の機会だったのかもしれない。「三角関数」や「対数関数」という「概念」を学んだときの高校生の自分も、もしかしたら、その一端を感じ取っていたかもしれない。

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『数学がいまの数学になるまで』は、少しでも「数学ってなんだろう?」と思ったことがある人には、おすすめしたい。きっと予想を超えた数学の姿が見えてくると思う。縦書き二段組というハードそうな見た目とはうらはらに、とても読みやすい本ですので。