重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:工学部ヒラノ教授の終活大作戦(今野浩 著)

 

工学部ヒラノ教授の終活大作戦

工学部ヒラノ教授の終活大作戦

 

2013年に『工学部ヒラノ名誉教授の告白』を読んだとき、私は少し焦った。いつものようにユーモアたっぷりの筆致ながら、この本では初めて、ヒラノ教授(=著者)が人生の終わりを意識しているのが感じられたからだ。奥さんを看取り、研究も定年退職した著者にとって、『名誉教授の告白』にはもう続きはないのかもしれないと思った。

しかし、まったくそんなことはなかった。それ以降も、年に複数冊のペースでヒラノ教授シリーズは出続けたのだ。

そのいくつかは、このブログでも追いかけてきた:

読書メモ:工学部ヒラノ教授と昭和のスーパー・エンジニア - rmaruy_blog

読書メモ:工学部ヒラノ教授の介護日誌 - rmaruy_blog

読書メモ:工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱(今野浩 著) - rmaruy_blog

読書メモ:工学部ヒラノ教授の中央大学奮戦記(今野浩 著) - rmaruy_blog

読書メモ:工学部ヒラノ教授のはじまりの場所(今野浩 著) - rmaruy_blog

著者は定年後、未発表のものも含めて22冊分の原稿を書いたそうだ。いろんな意味で異常だと思う。工学研究者が著述業に転身すること自体珍しいと思うが、それをおいておいても、このペースの速さは普通じゃない。そもそも、自叙伝的エッセイを10数冊も出した人がいるものだろうか。書いたとしても商業出版できないはずで、それができてしまうのは、それが毎度面白いからだ。そして、それを待っている(私のような)読者がいるからだ。

しかし、今度こそ(!)これで最後だという。テーマは「終活」。77歳、単身高齢者になって久しい著者が、どんな心構えで死を捉え、日々を過ごしているかが綴られている。

類書との差別化を図るため、これまでのヒラノ教授シリーズと同様、“具体的、定量的、かつ赤裸々”に記述するように心掛けた。 p.20

著者が目指すのは「二人称の望ましい死、すなわち、家族や親しい友人に対して迷惑をかけない、もしくは恥ずかしくない死」だという。「二人称」というのは、養老孟司氏の「死には一,二,三人称の3種類がある」という議論を引いたものだ。

この点から見ると、PPKは必ずしも望ましい死に方とは言えない。なぜなら、多くの未処理問題や大きな負債を残して突然死ぬと、残された家族が大迷惑するからである。 p.20

そのために、かつての数理工学の第一人者らしく緻密に計画を構築し、ときに失敗もしつつ、奮闘していく様が描かれる。

身辺整理、息子夫婦と同居しない理由、健康管理、相続の計画など、「終活本」の標準的であろうトピックをカバーしつつ、ヒラノ教授の現役時代の定番エピソードも挟まれている。家族とのつらいエピソードや、かつて抱いたという自殺願望についてなど、ドキッとする記述もある。90%のユーモアのなかに、10%の死への不安や一人暮らしの孤独感といった本音が滲み出ている、そんなバランスに感じられた。

著者と同年代の方が読んだら、共感したり、参考になったりする部分も多いのかもしれない。30歳の私は「終活」はまだリアルにイメージできないが、著者の半分でも、1/4でも、幸せな老後になればいいなと願う。そのためには、自分が「二人称の望ましい死」を目指せるような誰かがいてくれる必要があるし、著者のそれこそ百分の一でいいので、振りかえって語れる物語のある人生を生きねばと思う。

***

先に「本書で最後」と書いたが、最後なのはヒラノ教授シリーズの新原稿執筆であって、これからも未発表原稿を(「関係者が死に絶えてから」)出すかもしれないそうだ。それに加えて、初となるフィクション作品を準備中だという。もと工学部教授の、鮮烈な小説家デビューが楽しみでしかたない。