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読書メモなど

読書メモ:近代日本150年―科学技術総力戦体制の破綻(山本義隆 著)

 

 

今年は、明治維新から150年目だという。
言われてみれば、という感じだ。

150年というと、人生2回分くらいだろうか。明治という言葉からイメージするほど昔でもないようで、不思議な感覚を覚える。しかし、その間の技術や産業の発展を考えると、電気もガスも何もないところから、今の日本までたどりついたのだからすごい。

山本義隆氏の新刊『近代日本150年――科学技術総力戦体制の破綻』は、その150年の日本の科学技術の歴史をたどった一冊だ。当時の科学者の発言などを一次資料から引きつつ、最近の歴史学者科学史家・ジャーナリストの分析も多く引用しながら、著者なりの「近代日本の科学技術史」を描いている。

ただし、著者の経歴を知る人ならおそらく想像できるように、そのトーンは極めて批判的なものとなっている。たとえば、「おわりに」には次のような一節がある。

増殖炉開発計画の事実上の破綻と、福島第一原発の事故は、科学技術の限界を象徴し、幕末・明治以来の150年にわたって日本を支配してきた科学技術幻想の終焉を示している。 

原発に限らず、本書では科学技術に対する批判的視線が貫かれている。著者の言う科学技術の「限界」や「幻想」は、150年間のすべての時期に存在している。

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明治の日本がいかに欧米の科学を取り込んだかというところから本書は始まる(第1~2章)。それは、福沢諭吉ら「幕末に欧米社会を直接見聞きした武士たち」によってなされた。彼は、軍事や経済における科学技術の威力を痛感し、科学の導入を急ぐ。そこでは、科学はつねに技術とセットだった。

(p.35)かくして明治期の日本では、科学は技術のための補助学として学ばれたのであり、今日にいたるまでの日本の科学教育は、世界観・自然観の涵養よりも、実用性に大きな比重をおいて遂行されることになった。 

1871年には技術者の養成機関「工部大学校」ができ、のちに東京大学と併合され1885年には「帝国大学工科大学」が設立される。明治維新からたった18年で、工学の高等教育を行う体制が整ったことになる。また、1886年建築学会、翌年には電気学会、1897年の機械学会と、国内に工学の研究コミュニティが次々とでき、それと合わせて産業も急速に発展する。鉄道・通信網、製糸業・紡績業。そして「欧米にくらべてせいぜい20年の遅れ」でなされた電気エネルギーの実用化。しかしその急速な工業化が、犠牲にしたものもある。たとえば、機械化がもたらした過重労働の問題。

(p.81-82)明治期における製紙業、そして日本の産業革命を代表する紡績業は、少なくとも明治の後期には、ともに「ウルトラ・ブラック企業」であった。(…)紡績業において若年女子による労働を可能にしたのがリング精紡機であったとすれば、労働時間の夜間への延長と昼夜二交代制を可能にしたのは、電燈の発明であった。(…)機械化は、それだけではけっして人間の労働を軽減させるものではないのである。 

また、足尾銅山鉱毒事件など、公害問題も発生している。働き方に無理が出たり、大規模な環境破壊が起こったりしても、日本を強くするためだから我慢すべきという考えがまかり通った。しかし、これは明治期だけのものではないと著者は言う。

(p.87)官民挙げての「国益」追求のためには、少数者の犠牲はやむをえないというこの論理は、その後、今日にいたるまで、水俣で、三里塚で、沖縄で、そして日本各地で、幾度も繰り返され、弱者の犠牲を生み出してきたのである。 

第3~4章では、戦前から戦中にかけての帝国主義と科学の関係が描かれる。地球物理学者による測量が戦場の調査の意味合いをもったことなどに代表されるように、科学者の研究は軍事に密接に結びついていた。

(p.118)帝国大学の理念が国家第一主義と実用主義とあっても、民間に先端産業の存在しない時代にあっては、そして軍事技術でいちはやく近代化をめざした日本では、その実用主義の協力対象はさしあたって軍ということになる。 

第一次世界大戦が勃発すると、いよいよ国による「科学動員」が始まる。1917年の理化学研究所設立もその一環だった。「日本の近代化学工業は、軍による火薬・爆薬の自給化政策から始まった」のであり、「結局、日本では自動車産業も航空機産業も、ともに兵器産業として育成された」。また、大規模な化学工場や発電所を朝鮮の植民地に設置されたことに触れ、「エネルギー革命による最新化学工業の発展は、植民地の資源と労働力の収奪に支えられていたのである」という。

当の科学者たちは、軍事に動員されることに対してどう抵抗したか。彼らは抵抗しなかった。むしろ科学技術振興は「科学者サイドから強く主張」され、その法整備に「多くの科学者が好意的だった」。

(p.189)大部分の理工系の学者は、研究費が潤沢であるかぎりで、科学動員による戦時下の科学技術ブームに満足していたのであった。 

小倉金之助という一人の数学史研究者を取り上げている。小倉は、戦前の科学が軍事に偏重していること、学者たちが狭い専門領域に囚われていることを批判し、「自然科学者に、反知性主義・反文化主義への抵抗を訴え」た。科学的精神の体現した、良識的な学者のように聞こえる。しかし、小倉のような研究者が、むしろ総動員体制を「科学研究の合理化」を進めるものとして歓迎していた。ここから著者は、科学精神だけでは「ファシズムと闘えない」という結論を下す。

(p.186)〔小倉たちは〕総動員体制にむけての研究体制の軍による上からの統制――全体主義的な国家統制を、封建的な人間関係や官僚主義として非合理的な学閥の類のものが力をもつ日本の学問世界の近代化を促進するものと肯定的に捉え、ファシズムへの協力を積極的に呼びかけたのである。…これは転向ではないし、偽装転向ですらない。 

(p.194) 後進資本主義国としての封建性の残滓や、右翼国粋主義者反知性主義による非合理にたいして、近代化と科学的合理性を対置し、社会全体の生産力の高度化にむけて科学研究の発展を第一義に置くかぎり、総力戦・科学戦にむけた軍と官僚による上からの近代化・合理化の攻勢にたいしては抵抗する論理を持ち合わせず、管理と統制に飲み込まれていったのである。 

第6章で時代は下って「戦後」になる。科学史家・広重徹は、70年代の『科学の社会史』において、戦後の科学研究体制は敗戦を機にゼロから再スタートしたのではなく、むしろ戦前からの延長線上にあると指摘した。その見方を著者も踏襲する。科学者はどう戦争を総括したかといえば、科学技術が不足していたから戦争に負けたという感想が多かった。先の小倉金之助の言葉が引用されている:「今日わが日本が民主主義的文化国家を建設するためには、科学の振興を絶対に必要とする」。今度は民主主義のために、科学が称揚されている。

高度成長を可能にした科学技術政策は、「戦後版の総力戦」だった。自動車や家電メーカーの躍進のイメージがあるが、その背後にも、朝鮮戦争ベトナム戦争の特需で各メーカーが潤ったという現実がある。

(p.220)ふたたび日本は、アジアの人たちを踏み台にして大国への道を歩んだのである。

水俣病などの公害問題においては、権威をもつ科学者たちが、企業サイドに都合の良い「対立説」を出して、被害者サイドの告発が相対化されてしまうということが繰り返されてきた。

(p.239)明治以来、国策大学として創られた帝国大学の学問は、多くの場合「専門家」の発する「科学的見解」として権威づけられることで、国家と大企業に奉仕してきたのである 

現在はどうか。いま、日本政府と財界が画策している「軍需生産の拡大と武器輸出」に注意を促す。軍事で経済を活性化することには、人道的な理由とは別に、明確な問題があると指摘する。

(p.251)軍需製品以外のものは、電気製品にしても自動車にしても、すべて何らかのかたちで消費生活か、あるいは再生産に役立つ。しかし軍需製品だけは、消費生活に資するものでもなければ、かといって再生産に資するものでもなく、地球規模で考えるならば単なる資源の浪費、それもおびただしい浪費である。

原発の話題は第7章にて別建てで論じてられている。通産省の主導で70年代から着々と増えていった原子炉だが、その技術には、労働者の被ばく・環境汚染の問題・使用済み燃料といった、「通常の商品では、これどれひとつがあっても、市場には出しえない」ような問題が残されている。そして、2011年の福島原発事故、2016年のもんじゅ廃炉決定、2017年の東芝原発事業の失敗による主力部門売却などの事象をうけ、「経済成長の強迫観念にとらわれた戦後の総力戦の破綻である」と総括する。

(p.287)福島の事故は、明治以来、「富国強兵」から「大東亜共栄圏」をへて戦後の「国際競争」にいたるまで一貫して国家目的として語られてきた「国富」の概念の、根本的な転換を迫っているのである。

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以上、本書の内容をざっと見てきた。科学技術が、相当ネガティブに書かれていることがわかると思う。明示的には書かれていないが、本書に背後には、著者自身の科学者や科学コミュニティに対する怒りがあると感じられる。その中身は、3年前の著作『私の1960年代』を合わせて読むとよくわかる。最後に少しだけ『私の1960年代』からも引用しておきたい。

今からちょうど50年前の1960年代。当時、20代の著者は何をしていたかと言えば、東大全共闘の代表として闘っていた。たとえば、物理学会の費用の一部が米軍から出ていたにもかかわらずそれが隠されていたという事件に際して、署名運動をしたりしている。さらに、1968年、「明治維新からちょうど百年」の年、著者らは「「東京帝国主義大学解体」そして「東大解体」を掲げていた」。そこでの問題意識は、どんなものだったのか。

(『私の~』p.79) 私たちの立場は、軍の援助を得てまでして進めなければならないほど、研究が価値のあるものではない、ということになります。 

(『私の~』p.79) 科学研究が体制にすっぽり取り込まれている時代に、自身の研究がどのような社会的関連の中で営まれているのかについて反省的な捉え返しを抜きに科学至上主義を語ることは、自己の関心をただひたすら研究業績をあげることに限定することになります。そのような立場での研究費要求運動は、現状肯定・現状追従のうえに研究者としての既得権を擁護することでしかなく、普遍的な価値を持ちえないのです。 

本書『近代日本150年』は、学生時代からの著者の問題意識、まさに「自身の研究がどのような社会的関連の中で営まれているのかについて反省的な捉え返し」を、半世紀越しに行った作業だと読める。

この指摘を、科学技術にコミットしている現代人で直視できる人が何人いるだろうか。もちろん、研究者ではない自分も、科学の体制に寄生した業界で生計を立てているという意味で免れない批判だ。

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本書や前著が描くのは、どこまでも「失敗まみれ」「嘘まみれ」の科学像だった。でもだからといって、今後の科学技術にまで絶望する必要はないのではないかと個人的には思う。科学の失敗は科学で取り返すしかないのではないかとも思う。また、今は「科学コミュニケーション」「科学社会論」など、科学の在り方の問題を議論する土台が整っている。本書は、半世紀にわたり筋を通した在野の学者による、おそらくもっとも厳しい科学体制批判の書だ。これを受けとめつつ、これからの科学を健全さを目指していく責任が私たちの世代にはあるのだろう。

(『近代日本150年』p.214 )「合理的」であること、「科学的」であることが、それ自体で非人間的な抑圧の道具ともなりうる