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読書メモなど

読書メモ:『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)を現代人が読むべき理由

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

  

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

ほうぼうで話題になっている『サピエンス全史』。読む気はなかったのだが、あまりに評判が良いので根負けして手に取った。(決定打は宮台真司氏がラジオで絶賛していたことだった。)

「サピエンスの歴史」という問題設定

いままで、「サピエンス」という言葉の括りというか、問題設定の規模感に関心が持てない自分がいた。「現生人類であるホモ・サピエンスはどこで誕生して、どうやって極東の島国までやってきたのか?」とか、「ネアンデルタール人との混血なのか?」などは、たびたび『日経サイエンス』などでテーマになっているが、私にとってはどこか興味の対象外だった。むしろ、「太陽系はどうやってできたのか?」や、あるいはもっと至近な「なぜ日本には天皇制があるのか?」のほうに興味を引かれる。「サピエンスの来歴」というテーマは、宇宙の歴史と比べるとやや些末すぎ、かといって日本の歴史などと比べると自分の日常とかけ離れすぎているように思えた。

だから、『サピエンス全史』がこれほど読まれていることが不思議だった。

サピエンスの歴史は、そんなにたくさんの現代人が知っておくべきことがらなのか? 最初は懐疑的だったのだが、本書を読んで「大ありだ!」という考え方に180度変わった。

この本については有名無名の人がたくさんの解説や書評を書いているはずなので、ここでは現代人が『サピエンス全史』を読むべき理由について考えてみたい。

こんな本

『サピエンス全史』は、もともとアフリカに生息していたホモ・サピエンスが、地球全体に広がって70億人に増えるまでの人間の歩みを一気に活写した本である。「認知革命」「農業革命」「科学革命」という3つの飛躍を軸に、興味深いエピソードとわかりやすい比喩をふんだんに使いながら、人類史の骨格を描いていく。

哺乳類の一種に過ぎなかったホモ・サピエンスがここまでの発展を遂げた理由を、著者は、7万年前の「認知革命」に帰している。「認知革命」は、人間の認知能力の向上をもたらした脳の進化のことで、著者は、この認知革命が「虚構(フィクション)」を語る能力を人に与えたという点を強調する。それによって、サピエンスは大勢で協力することができるようになった。たとえば、チンパンジーには「群れのボス」という概念はあるかもしれないが、会ったことのないチンパンジーを「総理大臣」とか「天皇」とか「社長」とみなすことはない。だから、「国家」も「会社」も作らない。それができるのはサピエンスだけだ。その後の人間の歴史は、宗教、帝国、貨幣、宗教、資本主義、科学など様々な「虚構」のたまものに他ならない。本書の主題(の一部)は、大まかにいうとこんな感じだ。「貨幣」「宗教」「科学」などそれぞれについて面白い話が無数にあるので、ぜひ読んでみていただきたい。

読むべき理由

さて、それでは、この本に書かれているようなマクロな歴史観を持つことは、2017年を生きる一介のサラリーマン(学生、主婦、自営業者、etc)にとってどんな意味があるのか。思うに、それは、私たちが日々頭を悩まえている「価値観の対立」の本質を教えてくれることだ。

価値観の対立というのは、たとえば次のようなことだ。

  • 家族観の対立 ex. 親子や兄弟は助け合うべき vs 場合によっては個人の権利を優先すべき
  • 国家観の対立 ex. 戦前の愛国教育にも良い面はある vs 教育勅語なんて時代錯誤
  • 科学観の対立 ex. 豊洲は安心できない vs 豊洲は安全

こういうイシューそれぞれに対して、相反する意見を持っている人たちがいる(それもかなり強い意見を)。しかも、となりで働いている同僚や、一緒に住んでいる家族でも意見が一致しないことがあるから要注意となる。うかつに話題に出すと、とても後味の悪い論争になったりするからだ。

自分はというと、どちらかといえば「リベラル」「合理的」「科学的」と形容されるような価値観を持っているように思う。人はどんな理由でも差別されてはいけないし、意思決定のプロセスは民主的に、科学的知識に基づいて行われなければならない。こうした考え方が「正しい」と思っている。

でも、価値観が異なる人に対してその「正しさ」を説得することは難しい。いかに理があると思っていた考え方も、突き詰めていけば根拠がないことに気づく。「自由」「平等」「人権」「真理」といったものに価値をおくべき理由を見つけることはできないのだ。それは、結局のところ、すべて人間が頭のなかで作り出した「虚構」にすぎないからだ。

『サピエンス全史』に戻ると、人間をほかの動物から分けたのは、「虚構」を持つことを可能にした「認知革命」だった。これによって、人間は自分たちの価値観をカスタマイズできるようになった。だから「生物学の視点に立つと、不自然なものなどない(p.187)」にもかかわらず、「民主主義」や「資本主義」がもっとも「自然」な考えかのように錯覚するまで、虚構を強化してきた。

でも、うえで見たように、全人類で価値観が統一されるということにはならず、必ず相反するものが共存している点が厄介だ。人々が異なる価値観のクラスターを作り、バトルを繰り広げている。

そこで、一度、自分の持つ価値観を疑うということが必要になる。私の価値観は、人類が、いつ、どこで獲得したものなのか。それを考えるために、歴史は多くのことを教えてくれる。たとえば「男女は平等であるべき」「科学には予算を割くべき」なども、ある歴史上の一時点に登場した価値観であって、決して人間の脳に刻み込まれたものではない。人間の生物学的な特性は「虚構を持つ」ということだけだ。

自分の価値観の出自を知り、それを選びなおすためにこそ、「サピエンスの歴史」を辿る意味があると考える。