重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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追悼メモ:羽野幸春先生を偲んで

高校時代の恩師、羽野幸春先生がお亡くなりになった。

羽野先生は社会科の倫理の先生で、私が教わったのは日比谷高校在任時代の2004~2006年。覚えているのは、白髪で背筋がぴんと伸びた、物静かな姿。近寄りがたさがある先生で、個人的にお話をした記憶はあまりない。

「倫理」という科目は、高校社会科のなかでは「おまけ」的な扱いで、身を入れて倫理の授業を聞こうという生徒は私を含めて少なかったように思う。しかも羽野先生は、いかにも憂鬱そうな顔でとつとつとしゃべるので、授業中に大半の生徒が寝ているのも珍しくなかった。

でも、いつからかこの授業を私は夢中で聞くようになり、いまでは「羽野先生に出会っていなければ自分はない」と言えるほど、大きな影響を受けることになった。

まず、知識量がすごかった。倫理の教科書や資料集の編纂にも関わっていた先生は、古今東西の思想史の概要がすべて頭のなかに入っていて、メモを見ずに語ることができた。しかも、単に知識を教えるだけでなく、熱がこもっていた。もの静かな調子の先生は、その日の核心に差し掛かると、しだいに身振り・手振りを大きくし、目を見開いて話された。

アリストテレス政治学について、ヘーゲルの哲学について、上座部仏教の教えについて、実存主義の思想について。その日の登場人物がまるで先生に憑依したかのようだった。毎回の授業のあと、私はその日のプラトンなりニーチェなりに感化されて、一時放心状態になったのを覚えている。一番覚えているのはカントの回で、「純粋理性批判」の解説の中で出てきた「科学的理解の限界」というテーマは深く心に残った。

また、先生の授業は、「なんとなく人生がうまくいかない憂鬱さ」に対して、思想や哲学がある種の処方箋になることを教えてくれた。部活で頑張っていたり友人関係が充実しているクラスメートをわき目に劣等感を持っているタイプの高校生にとって、苦虫をつぶしたような顔で、それでいて嬉々として哲学を語る先生はまぶしかった。先生ご自身の人生も苦しいことが多かったらしく、「青春は苦痛でしかない」というようなことを言っておられた。

赴任した都立高校の卒業生にしか知られていないとすれば非常にもったいない、素晴らしい先生だった。ご冥福をお祈りします。

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