重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:『現代思想 2017年3月臨時増刊号 知のトップランナー50人の美しいセオリー』

  ※記憶の脳科学の話は一回お休みとします。平常運転の読書メモです。

 

 

現代思想」の増刊号。様々な分野の学者・研究者が、「美しいセオリー」をテーマに、短い文章を寄せている。

お題を決めて寄稿を集めるこのフォーマットは、英語圏の名だたる科学者たちの出版エージェントを一手に手掛ける、ジョン・ブロックマン氏の"annual question"を踏襲したものだ。

寄稿者は、物理学者、脳科学者、数学者、哲学者、社会学者など、日本の知性を代表すると言ってよいような豪華メンバーが、気鋭から大御所まで50名。面白くないわけがない。

完読はできていないものの、興味を惹かれるものから順番に40本ほど読んだ。(目次はhttp://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3013で見ることできます。)

「美しいセオリー(理論)」として、アインシュタインの相対性原理やダーウィンの進化論などの定番を挙げる論者もいれば、「美しい理論とは何か」や「美しいとは何か」や「理論とは何か」を考察している論者もいる。さらに「理論は美しくあるべき」という先入観に対して、異論・違和感・懸念を表明している論者が少なからずいたのが印象的だった。

各論考に対する私の感想はいくつかに分かれた。

  1. 著者ならではの視点に、「この人らしいなあ」と思いながら心地よく読めたもの
  2. 平易に読めたが、あとからじわじわ新しい発見が得られたもの
  3. 難解で、「やっぱり何言っているかわからない」と思ったもの
  4. 度肝を抜かれ、意表をつかれたもの

1.は例えば、塚田稔氏、長谷川眞理子氏、細谷曉夫氏、津田一郎氏など。彼らの研究のバックボーンにある「美しいセオリー」を、著者らしい言葉で解説している。

2.は例えば、池田清彦氏の言う「学問が進むと美しい理論は破綻する」という逆説的な事実。または、山本貴光氏の「理論の理論」、つまり「人が理論を生み出すときの方法論」という着眼点など。また、高瀬正仁氏の、客観的に美しい数学理論というものはなく、「「無」から「有」を生み出そうとするかのような数学的想像の源泉」が、数学者にとって「美」なのだ、という指摘は目から鱗だった。

3.はいくつかあったけど省略。

4.は、例えば山極寿一氏の短い文章。常識を180度反転させるセオリーに衝撃が走った。あるいは、あえて今「功利主義」に光を当てる意味を論じた吉川浩満氏の論考。また一番驚いたという意味では三浦俊彦氏の統計学クイズの解説は衝撃的だった。

全体を通して一つ選ぶとしたら、坂井豊貴氏の「美は重要ではない」と題されたエッセイを挙げたい。経済学者が美しい理論に魅せられてしまうことの理由と危険性を見事に描いていて、ある意味で、この特集号全体のトーンが集約された文章になっていると感じた。

***

ロックマンの"annual question"はどうしても回答に粗密・軽重があるのに対して、本書はどれをとっても読み応えがあった。まったく本家に負けてない、と思った。また作ってほしい。