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読書メモなど

読書メモ:断片的なものの社会学

 

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

社会学という学問がある。

社会の片隅で起こっていることに光を当て、ときにマイノリティーな人たちを発見し、当事者たちへの想像力を喚起するようなデータや事例を示してみせる。それが社会学のすべてではないと思うけれど、だいたいそんなイメージをもっている。魅力を感じるが、特殊な分野だとも思う。ものをつくりたい工学者、世界を平和にしたい政治学者などと比べ、「なぜ社会学者は社会学をするのか」が分かりにくいところがあるからだ。

本書は、社会学者である著者が、無名の人々に対してこれまでに行ったインタビュー、著者自身の人生に起こったエピソード、知人からの伝聞したことなど断片的な話題をつなぎ合わせ編まれた本である。何か社会の実相を暴いたり、何らかの知見を引き出したりすることはなく、むしろ著者の社会学者としての「眼差し」を浮き上がらせることに力点が置かれている。

社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。(p.7)

紹介されるエピソードの数々では、なるべく「意味」を読み込まないということが徹底される。各章の話題は一見ランダムでつながりがなく、読後感は短編小説集に近い。しかし、明確な狙いがあることが感じられる。一見無意味な、何の教訓もない出来事や人々の語ったことを並べることで著者が表現しようとしているのは、「ものごと(他人のこと、社会のこと、世界のこと)は、そんなに簡単に分からないよ」ということだ。自分の頭では「説明」したり「納得」したり「合理化」したりできないことが、世界にはあふれている。たとえば、我流でマスターしたギターを路上で演奏し続ける80歳のおじいさん。

ただし、僕らは常に一歩引いた傍観者としていられるわけではなくて、どうやったら他人と関われるかを模索していかなければならない。年賀状に子供の写真を載せるべきかというようなことからして、この社会で人とコミュニケートする難しさがある。著者自身、決していつも冷静な観察者であるわけではなく、イライラしたり、性的マイノリティの人に対してタブーの質問をしてしまったりする。大小さまざまなジレンマにぶつかるたび、著者は「どう考えていいか本当に分からない」などと、逡巡を隠さない。

印象深かったのは、著者が子供のころ「頭の中で具体的な数字(“1”とか“一”とか、1個の具体物とか)を思い浮かべずに、数そのものについて考えれるか」という遊びをしていたというエピソードだった。たぶん、それは不可能だ。しかし、それと同じくらい、社会の中で起こっていること、他人の頭の中にある現実を捉えることはできない。断片的に拾い集めることしかできない。学問になる以前の生々しい実感。言葉にできるはずのない実感が、無意味なエピソードの行間から立ち上がってくるという、非凡な本だった。