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読書メモなど

読書メモ:私の1960年代

 

私の1960年代

私の1960年代

 

山本義隆という人のことが,いつも気になっていた.高校生のとき,「駿台予備校の先生」として存在を知ったのがはじめだった.講義を直接受ける機会は持たなかったが,この人の書いた『新・物理入門(駿台受験シリーズ)』がすごかった.なにせ,この本で物理の面白さを知り,大学で物理を学ぶことに決めたくらいだ.大学に入ってからは『重力と磁力の発見』とか『熱力学の史的展開』など,科学史の重厚な著作をいくつか読んだ.僕の中で「在野の学者」という言葉が一番似合う人だ.

しかし,ある年代の人たちにとっては,山本義隆全共闘(東大闘争全学闘争会議)の代表として知られる人物でもある.1987年生まれの僕にとっては,学生運動など遠い昔のことだし,山本氏がそれにどんな風に関わったのかも知る由もない.山本氏自身,これまでは当時について語ることはしてこなかったと聞く.しかし,最近ようやく語りはじめているらしく,一連の講演をまとめた『私の1960年代』という本を書店で見たとき,「まじか!」と声を漏らしてしまった.

この本で著者は,記憶をたどりながら当時の出来事を淡々と説明していく.若き著者が作ったガリ版刷り(!)のアジビラや,『朝日ジャーナル』などに寄稿した文章もそのまま収録されていたりして,資料としての価値も高そうだ.一方,そうした経緯の説明に加えて,当時の彼らが大学や政治に対して何を主張したかったのかを,いまの科学史家としての言葉遣いで整理してもいる.その意味で,1960年代の学生運動の顛末を知るだけではなく,戦前から戦後,そして現代に至るまでの科学政策や大学のあり方を概観できる本にもなっている.

ところで,学生運動というのは今の僕らからするとモチベーションが分かりにくい面がある.たとえば山本氏は,1960年前半に学部生だったころから運動にかかわり始め,20代後半まで10年近く続けている.学部生ならともかく,博士課程で物理の研究をしながら学生運動を続けていたというのは,今の感覚からするとちょっと考えられない.いったいどんな思いが彼らを駆り立てていたのだろう? この本からおぼろげながら読み取れたところによれば,以下のような経緯だったようだ.

発端は,「大学管理法」などと呼ばれる法案に象徴される,大学に対する国からの締め付けだった.それに対して大学側は反発する.教授たちと学生たちは「大学の自治」を守るために共同して対抗するかに思われた.しかし蓋を開けてみると,教授たちは自分たちの権限だけを守るかたちで国と手を打ってしまった.これに学生が反発.行動を起こした学生に退学処分が下るなどして,大学側に対する学生の不信感がエスカレートしていく.次第にその不信感は大学での学問のあり方,研究の存立基盤そのものに向かう.教授たちは教壇では民主主義の理想などを語るが,やっていることが違うではないか.アメリカ軍から研究費をもらっておきながら,自分の研究が戦争に加担していることに無頓着でいいのか.こうした,既得権益者である大学教員が用いるダブルスタンダードが糾弾の対象になっていく.かなり単純化してしまっていると思うが,この程度に理解した.

いまからすると,彼らの主張はものすごくピュアで,ナイーブで,ある意味「意識が高すぎる」ようにもみえる.大学教員と「闘争」をしたり,講堂を「占拠」したり,学長をカンヅメにしたり,なんだか滑稽とすら思える.学問が経済や政治などいろいろな思惑で行われているなんて当たり前だし,研究者が自分のキャリアを最優先するのは当然だという気もする.それでも理想の学問をしたいというなら「大学を辞めるしかないのでは?」と,現代なら片付けられてしまいそうだ.でも,この時代には,こうした闘争に意義が感じられるほどに「学問の自由」「大学の自治」がリアリティをもっていたということなのかも知れない.時代の空気感の違いをとても感じる.

それはともかく,理想を掲げて反発して終わるだけで終わらなかったのが山本義隆のすごいところだと思う.大学闘争の終わりころ一時逮捕されるのだが,保釈されたあとは大学に戻らず,たった一人で科学史の研究に邁進することになる.そして,民間企業や予備校に勤めるかたわら受験参考書や科学史の本を執筆する.そうした著作によって,後の世代の僕らが「自分がやっている(勉強している)科学とはいったい何なのか」を知ることに計り知れない貢献をしたといえると思う(すくなくとも僕は多大な恩義がある).そして,そのように「在野の学者」として突き進む原動力は,彼の1960年代の闘争にあったのは間違いないのだろう.

 

新・物理入門 (駿台受験シリーズ)

新・物理入門 (駿台受験シリーズ)