重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:鏡映反転

 

鏡映反転――紀元前からの難問を解く

鏡映反転――紀元前からの難問を解く

 

 

なぜ、鏡は左右だけを反転させるのか。

それだけについて書かれた本だという。

果たして、そんなテーマで1冊分の内容になるのだろうか。疑心暗鬼ぎみに中を見てみると、多くのページが「心理実験」の結果を示す円グラフで占められている。実験と言っても、鏡の前の人やモノが反転して見えるかを被験者に聞くという、非常に原始的で単純なものばかり。そんな研究で何が明らかになるというのだろう。「紀元前からの難問を解く」という大きなサブタイトルも相まって、本書は「トンデモ本」の様相を呈しているとも言えなくもない。

ところが、読み終わったいま、そんな印象は見事に覆された。ちゃんとした研究の成果をまとめた本であり、しかも、この鏡映反転の問題について、驚くような新説を提示しているのである。

まず押さえておくべきことは、鏡で反転するのは「左右」ではない、ということだ。この問題について少し考えたことのある人なら分かると思うが、鏡の正面に立って鏡をまっすぐにみたとき、反転するのは「前後」の方向であって、「上下」と「左右」は変わらない。前後だけが反転することによって、鏡のなかの世界と現実世界とが(まさしく)鏡像の関係になり、それによって「私」の右手は、「鏡の中の私」の左手になる。それが、鏡映反転の“物理的な”説明だ。

けれど、ここから本当の問題が始まる。つまり、なぜ前後の反転に過ぎない鏡映反転は、「上下」や「前後」ではなく「左右」の反転として「認知」されるのかという“心理”の問題が残るのだ。

この辺りまでの思考過程をたどったことのある人は少なくないと思う。実際、この心理学上の疑問へは、多くの人が答えようとしてきた。本書によれば、朝永振一郎、リチャード・ファインマンマルティン・ガードナーといった名だたる物理学者もこの問題に取り組んだ(そして間違った(!)解答を与えた)そうだ。

詳しくは本書に譲るが、従来の説としては、鏡の中の像と実像を重ね合わせる操作として自然なものを考えると左右反転が残るとする「移動方法説」、普段よく見慣れた人との対面場面と比較が自然に起こるとする「対面遭遇スキーム説」、実物の「回転」の自然な方向によるとする「物体回転説」などがある。本書では、それらを一つ一つ説明しつつ、そのどれもが弱点をもち決定打になっていないと主張する。

著者の結論は、全ての鏡映反転を説明する原理はなく、いくつかのプロセスが複合的に働いているというものだ。具体的には、自分の視点と鏡の中の自分の視点が合うように座標を変換する「視点反転」のプロセス、頭の中にある文字などの「表象」と鏡像を比較して反転を判断する「表象反転」のプロセス、物理的な「前後反転」が左右反転に一致する場合の「光学反転」という3つの独立したプロセスがあるという。一見分かりにくいこの説を、著者はたくさんの地道な心理実験によって証明していく。実験の描写はやや入り組んでいるが、論理は通っており、丁寧に読めば納得できるように思われた。

「鏡は左右を反転する」という一見トリビアルな現象から、ここまで込み入った考察を導くという、そのこと自体が本当に興味深かった。まだこんな身近な現象にさえ、ノントリビアルな心理プロセスが関与している。そんな驚きに満ちた一冊。「みんなが知らないことを知れた」という優越感を味わえるのも良い。